昭和42年1月24日    朝の御理解



 この世を仮の世と申します。してみると、あの世こそが本当の世であり、世の中である。確かに、「この世は仮の世だ」という実感をさして頂くのでございますけれども、その仮の世であるこの世で、どれほど神様にお喜び頂けれる私どもであったかということが、本当の世であるあの世での、まあ功績ともならせて頂くわけでございますね。
 ほんと、これを思います時に、ようもご信心の道に縁を頂いておったものだと、しかも、そのご信心と言うのが、ただ御利益、ね、現世利益ということだけに止まらずに、いや、ただ止まらずじゃない、それだけじゃない、そうではない、ほんとに、本心の玉を磨かしてもらい、本気で改まらしてもらい、神様のお喜び頂けれる、ほんとに人の世、この世のために、尽くさせて頂こうと、その教えて下さる、そういう信心に、ようも縁を頂いておったんだ、ということを改めて有り難いと思うのでございますが、皆さんはどうでございましょうか。

 これは、私事ですけれども、皆さんもご承知の方が多かろうと思いますけれども、私の父の姉にあたります、私の伯母にあたります、山本に伯母がおりましたが、もう90からでございましたと思います。昨日、お国替えのおかげを頂きまして、あちらから具合が悪いから、と言うて便りがございましたから、電話をかけたそうですけども、電話が出なかった。
 それで、あちらからの使いの参りましたから、すぐもう、それこそ、取るものも取りあえず、父と妹がまいりました。けれども、参りました時には、既に事切れておったそうでございますけれども、しばらくして、妹が帰って、いろんな今日の打ち合わせなんかで帰ってまいりましてから、もう、それはそれは、もう、ほんとに生き仏様のごたる顔してから亡くなっとられた、と言うてから、来とりましたが。そうであろうと私は思うのでございます。
 私の父の兄弟が六人おりますが、私の父のすぐ上でございます。それで、いうならここは、伯母のためには出里である。ですから、父は弟であり、母は、だから弟嫁になるわけでございます。
 もう、年に何回か、ここから車で迎えにいきまして、ここにまいりますのが、もう、ほんとの、唯一の楽しみのようにいたしておりましたが。その自分の出里である所の椛目の、大坪の家が、まあ少しずつでも、繁盛のおかげを頂いておるということをもう、たいへんな喜びに、自分の喜びのように喜んでおってくれましたが、それでもやっぱり、弟は弟、弟の嫁は弟の嫁でございますから、ほんとに、私の父を「徳しゃん、徳しゃん」ちゅうて言いよりましたが。
 ほんとに、私の母の事をですね。ほんとにあの、「よう先祖の後を見てくれてから、ほんとに私どん、そばにおってから何にもできんな、ほんとに、まあようも、こうして、だんだん繁盛の元を造ってくれた」ということを、来る度に、改まって、母やら父やらにお礼を申しておりました。
 もう、ちょうど、あちらにもちょうど、去年の秋の暮れに、永い、古い家でございましたから、それを建て替えましてから、新築をいたしました。
 その新築のあっておる間、こちらにまいっておりました。もうそれが、ここにまいります最後でございましたが、それから私は、二回ほどあちらにまいりまして、一番最後には、どうしたのか、私、父を連れて行きたいと思いましてから、もう去年の秋でございました。父を伴うてから、ほんの2、3時間ではございましたけれども、まいりましたが、「もう、会うた時が、いとまげ(いとまごい)ばい」ちゅうてから申しおりましたが、いとまげ(いとまごい)になったわけでございますがね。
 もうそれはもう、私の父の兄弟の一番の腹の美しい人であると同時に、もうその、家思い、郷思いでした。あのときに私が裸で、こうお風呂へ入りますと、ちょうど食堂にご飯を頂きに来とりました。そしたら、私の裸に、腹に手をこう置いてから、「どうした、立派に肥えられたことね」ち言うてから、私の腹をここを撫でてですね、涙をぽろぽろ流します。
 まあだその、子供にしか見えんのですね伯母にしては。けれどもほんとにあの、ここに来ては、もうほんとに心から喜んでもろうておった。そして自分の出里である所の大坪の家も、段々、それこそ人の助かるような場に代わって、見事になっていきよると。あちらのご造営の事なんかでも来る度に、自動車を雇ってから見せに行きよりましたら、「もうこれが最後、これが最後」と言うて、もうずいぶんそれが何回もでござい、繰り返すのでございましたが。
 今日はその、葬式が、告別式があちらの自宅でございますのでほんと時間を頂いてから、あちらにやらして頂きたい。今日はまた、久保山先生所が20日祭になり、ほいから、上滝さん所が、例の、恒例の宅の謝恩祭がございます。それももう、今日はあの、夕方早うお祭りを仕えて欲しい、と言うて来とりますから、もうどこを落として、変えるわけにはまいりません所ばかりですから、もう何とぞお使い回しを頂いて、午後から忙しく(?)3時のお葬式などでございますから。
 これはもうほんとに、いうならば、今日私が申します、ほんとにあの、この仮の世でございました、この世に90年間もの間、ここでおかげを頂いて、ご厄介にならせて頂いてから、お家でお国替えを頂きましてからその、伯母の霊の事を今日私は、まあいうならば伯母のたたえるとでも申しましょうか、もうこんなに素晴らしい伯母でございました。こういう事もありました、ああいう事もありましたと、今日はその事をたたえさして頂いとりましたら、もうその都度に、神様のお喜びだけではなくて、伯母の喜びを私のこれに感ずる、心に感ずるのです。
 そして思うのでございますけれども、ほんとにあの、たたえられる私どもになっておかなければならないということ。あちらにほんとあの伯母だけは、根性の悪い伯母じゃったというごたる事であってはいけない、ということです。それは同じ、私の方の、母の、あの父の兄弟でもですね、妹達がおりましたが、あの叔母なんかはここに来る度に、こんな事を言いよったんですよ。
 「総一ちゃん、ここは私の出里じゃけんで、私を追い出されたから、あんたしょっちゅうここに帰って来るんだけん、あんたどん見てくれなんばの」ち言う叔母もおりました。もうその、それとですね、もう郷思いと言うか、親思いと言うかですね、もうそれこそ何よりもここにと、こう、そのしてくれた、尽くしてくれた、その伯母の事をですね、もうたたえ、そんな事をたたえさして頂いとりましたら、神様の喜びだけではない、伯母の喜びを、だからそれに応えさして頂くんで、私としてはもうほんとに、心を思いをいっぱい、今日のお葬式に、で出らして頂きたいと思うてるのでございますけれどもね。
 ほんとにこの世は確かにお釈迦様が仰るように、「仮の世」です。その証拠に、いくらここに、この世にお世話になり、ご厄介になると申しましても、やはり、90年か100年です。もう最高。ね。そして、本当の世と言うなら、やはりこの世なのです。ですからここのところの、それこそ重大事とでも申しましょうかね、ということを本当に悟らしてもらい、分からしてもらい、ほんとにですね、私ども思うですね、その本当の事を分からして頂けれる信心にならなければいけない、とこう思うのです。

 私は、あの善導寺に参ります時に、久保山先生の事故に遭われた勿体島のあそこん所を通って、必ずあそこで、御祈念をさしてもらい、自動車の中から合掌して、そこを通るのでございますけれども、これはもう一番始めに、私があそこを通った時から、度々にあそこで頂きます事は、久保山先生が填めておられた眼鏡が、とこう頂くんですね。
 ほいで帰ってから、その事を御理解頂きましたら、いうならば、これは肉眼である、その肉眼をまた、よく見えるようにするのが眼鏡なんです。まあよく、よく申しましょうが、色眼鏡で見ると言ったようなこと。だから、その色眼鏡であるならば、色が、こう色眼鏡で見るわけなんです。ね。久保山先生なんか確かそういうタイプの方だったんです。
 それで、ここはですね、「はあ、先生が事故に遭われたとこ」と言うのではなくてです、「先生が肉眼から、心眼に変えられた所だ。おかげの場所だ」と言う意味の事を頂くんです。ね。その瞬間、死ぬると言う大修行を終えよってです、いわゆる、肉眼を置いて心眼を開かれた場なんだ。そして、始めて分かられた事、私の事も、いよいよほんとの事が分かられたであろう。ね。
 なるほど先生が、あんたどん、信心なんにゃ分からん、この世におって、あの世の事を私が言うても、半信半疑で皆が頂いておりますけれども、やっぱ先生の仰っておったことが本当だった、と言うようにです、いわゆる肉眼を置いて心眼を開かせてもろうて、ほんとの事が分かるのです。ね。これはもう、間違いのない事実である事を私は、思うのでございますけれどもです、ね、ですから、いうなら、確かに、「この世は仮の世」ね。
 仮の世で、どれほど私どもが、御神意に適う生活。これはまた、ほんとに伯母の事ばかりを申しますけれどもです。もう伯母なんかは、心のほんとにもう美しい人だったと思うんですが、非常にあの、同時に、純真でした。ね。実に素朴でした。もうほんとに、もうあの、耳納山の、ほんの山の中に家がございますが、もうほんとに、山、山からの住まいさえも相応しい人でした。うん。もうほんとにあの、すすけたような、家にまあ住んでおりましたけれど、まあそれをいろんなですね、さあ、テレビを置いたり、ラジオを置いたり、いわゆる新建材であっちこっちを修繕したりした家に、もうこりゃ、こげなふうにしてしまわんなこりゃ、昔のままにしておきたいと、私にいつも言うて、ほんとにそういうようなお家に、いうなら相応しい伯母でした。
 それが最近は、そしてもう新築になりました家に、移ってですね、小さい3畳ぐらいの部屋を一つ造って、伯母の為に造っておりますから、それで喜んでおりましたけれどもですね。そういうほんとに、純真素朴な、何か世の中の、悪と言ったようなものに染まってない、と言う感じの人でした。うん。
 そこを、私どもは信心さして頂きましてです、どういう中にありましても、どういう場におりましても、それをいつも清めさして頂く、限りなく美しゅうならして頂こう、と言う願いと同時に、その、まあ清められた心で、どれほどか、神様のお喜び頂けれる有り方にならして頂かなければならない、ということにまあ、念願さしてもらい、専念さして頂いておる、そういう生活が、いうなら信心生活でございましょうがです、ね、ほんとに、あの世での、まあいうなら神様のお取り扱いというものが、ほんとに有り難いお取り扱いとしての、おかげの頂けれる、おかげを頂く為に、まあいうならば、私がいつも言う、その、まあ久保山先生いつも言うておられた、「土のような信心」と言うようなこと言っておられましたが。ね。
 そういうふうに、私どもが、清められて行かなければならないということを感じるのです。
 今朝は、伯母の霊をたたえるような意味合いで、この御理解というのは、いついつまでも残さなければならん、と皆さんが言うておられます。ですから、その中に、そのひとこまに、あの、「伯母の死をたたえる」というような意味で、今日は御理解で聞いて頂いたんですけれどもね。
 どうぞ皆さんとても同じ事、ほんとに後の世の者からたたえられる私どもにならして頂く事を、念願としなければならないと思うのでございます。どうぞ。